内山ふみの日々  ヴァイオリンと一緒に

ヴァイオリニスト、二児の母の日々。

福島県へ

福島県に行ったのは、8月のこと。
もう、随分経ってしまいました。

この日以来、現地で感じたことが頭からはなれることはありません。
ずっと言葉にできなくて、
福島に行く前日に、告知記事を書いて以降ブログが止まりました。

私は震災以降、どんなに小さいことでも自分の役に立てことはないかと
ずっと思っていました。

そんな時に被災地での演奏依頼を頂き、
とても嬉しくお引き受けしたのです。
被災者の方々が、避難所から仮設住宅へ移って行かれた時期でもあり
被災地の状況は日々変わっていて
天候なども考慮しながら、可能な場所に演奏にいくということでした。


そして、福島県に行くことになり
安達太良山南相馬市の2か所の仮設住宅の集会所にて
演奏をさせていただきました。
移動は全て車で、東京から数時間でした。

仮設住宅に住んでいる方々は
それぞれ100名以上はいらっしゃったと思いますが
見かけた子供たちは、2日間で10名弱でした。
ほとんどがお年寄りで、女性がとても少なかったと思います。
原発5キロ圏内に住んでいた方たちが避難されている仮設住宅
ご家族が原発で働かれている方がほとんどということでした。


南相馬市に行く道中では
人の居ない町を通り、その先には一面にひまわり畑がありました。
その日は雨だったこともあり、ひまわりは首を曲げ、
頭を撫で下ろしていました。
それまで明るく、太陽のようなイメージだったひまわりとは
全く違った表情で、とてつもなく大きなメッセージを背負っていました。

「音楽を聴くのは5か月ぶりだわ」
と言って、目をうるませて喜んでくれた方のことも忘れません。

でも私は、目に見えない放射能の恐さと
起きてしまった人災の実態に、押しつぶされてしまいそうでした。


命の全てを、放射能高濃度汚染地域から遠ざけられないのでしょうか。


今も放射線量の高い地域での農業などがされていますが
それは、そうしなくては生きていけない状況だからではないでしょうか。
もし、身寄りがあるなしに関わらず、
それぞれの家庭がどんな経済状況であるかに関わらず
最低限安全な場所で生きていく環境がきちんと与えられなたら
あの場所に今、人はいるのでしょうか。

経済、人命、故郷、

立場の違うたくさんの人間同士が、一人一人違う考えを持っていて
そして社会が成り立っていて
こんなに大きな問題を個人的に何を考えたって
どうすることもできないのですが

でも、

「生きていたい」

これだけは、みな同じなんだと
強く思いました。


もともと原発の廃棄物を処理するためには
10万年かかるそうです。

処理できないものを、作ってはいけない。

これが一番説得力のある答えではないでしょうか。


被災地の方々のために
また日本で生きていきたい一人の女性として
これからできることは何なのか、探していきたいと思います。
それは、現地に音を届けることではないかもしれませんが
例えどんなに小さいことだとしても
この国の天災の復興と、人災の収束に
しっかりとした知識を持って関わっていきたいと思います。


とても長くなりましたが
こうして言葉にしないと
自分が前に進めない気がしたので書きました。





さて、次回は演奏会の告知をさせてください☆